せっかく北千住付近に来たので
前から行ってみようと思ってた
小塚っぱらの刑場跡と東京拘置所に
行ってみることにした。
JR南千住駅
ここも降りるのが初めてだ
前に東武が走る
きれいな駅だ
駅を出て左に進むと
三つ葉葵の家紋が
南千住は日光街道奥州街道の出入り口で
松尾芭蕉はこの辺から旅だったとのことだ
小塚原回向院
上で言ったように
ここは街道の出入り口だったため
処刑場を作るのには
もってこいの場所だった
小塚原刑場は街道入り口に設置され
入ってくる人たちに
恐怖を植え付けるためだった
さらし首や磔にされた死体が
野ざらしにされていて
それを横目に見ながら江戸に入ってくるのだ
杉田玄白や前田良沢らによって
府分けといわれる人体解剖が行われ
解体新書の精密さが証明されて
江戸幕末に蘭学ブームが起きた
回向院は浄土宗の寺らしいが
江戸幕府によって建てられたもので
三つ葉葵の家紋があちこちにある
北に小塚原
南に鈴ヶ森の刑場があり
ともに見せしめの要素が強かった
死体置き場の用途もあったため
夏になると腐臭がひどく
野良犬などによって死体が食い散らかされ
目を覆わんがばかりの光景だったらしい
ここにも葵紋
一般の墓地と
史跡エリアの墓地と別れている
史跡エリア
黒光りの墓があり
まだ比較的新しいものがある
いわゆる幕末の勤王の志士といわれる
尊王攘夷の者が安政の大獄などで
大量に処刑された
その墓がここに多い
福井藩の橋本左内の墓のようだ
勤王の志士たちの尊敬を集めた人だったようだ
25歳だった
この異彩を放つ黒い墓は
カールゴッチの墓だ
なぜここにあるのかは
甚だ不思議だ
小塚原で処刑されたわけでもなく
幕末の志士でもない
田中光顕の書のようだ
田中光顕は土佐藩士で
明治時代の政治家官僚
坂本龍馬より中岡慎太郎に
近かった人物のようだ
カールゴッチの墓標
この人、日本に移住したんだ
知らなかったな
吉田松陰の墓
松陰は安政の大獄で処刑され
小塚原に埋められたが
かつての松下村塾出身の長州藩士らが
掘り起こして別の場所に葬った
首と胴体が切り離されていたのを
縫って付けたらしい
掘り起こすにあたっては
処刑された死体の処分などに当たっていた
いわゆる非人(ひにんでは変換されない)に
金銭を握らせて掘り起こしたらしい
罪人の死体を掘り起こすのは
幕府のご法度だ
いまだに花が添えられてる
29歳で刑死
横に並ぶのは松陰を慕った人たちの墓かな?
南千住に戻り
小菅に向かう
歩き疲れたのでベンチの端に座ろうとしたら
向こうから女が走ってきて
つっつピーが座ろうとした場所に
飛び込むように座った
なんだこの女?
ベンチはガラガラなのに
なんでつっつピーが座ろうとした場所に
わざわざ座るのだろうか?
やっぱり足立区は変な奴が多い
東武で先ほど見た
荒川放水路橋梁を渡る
小菅駅
ここも降りるのは初めてだ
ホーム目の前に
東京拘置所
ホームから改札に向かうが
コンクリート張りで
妙に冷たい感じで
監獄を模しているかと
思いたくなるような駅舎だ
入口もなんかね
拘置所の周りには堀がある
ゴミだらけだ
拘置所を取り囲むように
水が汚くて
鯉が住むにはもってこいの場所だ
気味が悪いな
おいてけ堀の怪談を思い出す
拘置所に近づく
先を右に曲がると拘置所
ミシシッピアカミミガメ
まぁ居るだろうなぁ
フェンスの向こうは拘置所に敷地
ここから先の撮影は禁止だ
拘置所の隣には団地が立ち並ぶ
団地か拘置所か区別がつかない
拘置所面会所入口
注意書き
拘置所内には
葛飾区の史跡がある
小菅御殿石灯籠
八代将軍徳川吉宗のころ
ここに御殿があり
九代将軍の家重が幼少時代に
ここでよく遊んだらしい
鷹狩の狩場があったらしい
もっといろいろ巡ってみたかったが
蒸し暑くて、歩き疲れたこともあり
引き上げることにした。
足立区近辺は江戸時代にはあまり良い場所ではなかった感じだ。
また下町巡りをしてみたい。