さすが大都会。
ものすごい人と車の量。
途中ショッピングセンターのようなものがあり
ホーマックの看板。
つっつピーのいる地域では
カインズホームやビバホームが多いので
北海道に行ったときくらいしか見かけないので
どことなくなつかしいです。
新浜川橋の交差点を抜けると立会川駅近く。
新浜川橋、新があるなら旧もあります。
立会川駅のほど近くに
通勤通学路になってる立会川にかかった
小さな橋があります。
そこが本来の浜川橋。
この橋はかつて涙橋と呼ばれていました。
立会川と涙橋。
意味深です。
かつて徳川幕府は
北の日光街道の出入口と
南の東海道の出入口に
罪人を処刑する刑場を設けました。
もちろん見せしめのためです。
北は今の南千住駅付近の
小塚原(こづかっぱら)刑場。
南は大森の鈴ヶ森に。
この南北刑場にそれぞれ涙橋が存在していました。
北の涙橋=泪橋の方が馴染みがあるか?
あしたのジョーに出てくるあの泪橋。
もう交差点にその名前が残るだけ。
南が立会川に架かる涙橋。
いざ処刑に望む罪人が密かに親族との別れに
涙した場所です。
親族や大事な人々と最後に立ち会い
別れを告げたのでこの名前がつきました。
当時のことです、現在でも冤罪がいっぱいあるのに
無実の罪で死罪となったものも数知れなかったでしょう。
浜川橋、涙橋です。
昭和9年に架け替えられた。
立会川駅へ向かう人々がひっきりなしに。
モノクロにすると
昭和そのまま。
立て札が立っています。
まだ時間があるので
立会川駅から大森海岸駅まで
罪人が辿ったかもしれない
道を歩いてみる。
第一京浜を大森海岸駅方面へ。
駅の近付くと大経寺がある。
そこが鈴ヶ森刑場跡。
ひとしきり手を合わせる。
物見遊山で来る人も多く
反省を促す警告文も有りました。
いろいろな墓や慰霊碑。
火あぶり台。
ここに罪人を柱に縛り
薪に火を着け
焼き殺しました。
磔台。
こちらも柱に縛りつけ
槍で突き殺しました。
殺した後もしばらく
晒し者にしたようです。
再び手を合わせ
目的地の品川へ向かうべく
京急大森海岸駅へ。
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