俳優の高倉健さんが亡くなって
そろそろ4年が経つわけですが
若い頃、けっこう好きで
レンタルビデオで借りて
よく高倉健さん主演の映画を観ました。
海峡と八甲田山はどういうわけか
見たことがなくて
テレビ放映されたものを
ビデオテープにとっておいて
それをパソコンでMPEG変換したものが
出てきたので何となく見てしまいました。
明治時代に実際、起こった
八甲田山雪中行軍遭難事件
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
これを元に書かれた
新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を
原作に映画化されたものです。
当然、エンターテインメントなので
史実を元にしたフィクションです。
セリフひとつひとつが事実ではないのは
あたりまえですが、物語の流れは
かなり史実に近いものと思われます。
日露戦争に備えて
敵のロシアは厳冬での戦いに慣れているので
それに対抗するために
冬の八甲田山での
雪中行軍の訓練と調査のため
陸軍第8師団の青森と弘前の連隊に
調査の命令が下った。
ここからは映画内の話ですが
連隊長同士の何気ない会話が
無理な行軍の引き金になる。
その一言とは
雪の八甲田山で
青森隊と弘前隊がすれ違うのも
面白いな。である。
この一言がこの映画の重要なポイントになってます。
高倉健扮する徳島大尉は27名の隊員を率いて
弘前から10泊(史実は11泊)の行程。
北大路欣也扮する神田大尉は2泊(史実は1泊)
中隊規模で尚且つ大隊本部も随行するという大編成。
何故、徳島隊は10泊なのかというと
連隊長同士の約束を守るためにはこういう行程を
とらざるを得なかった。
この行程を決めたとき
高倉健の徳島大尉は丹波哲郎の連隊長に対して
「このような行程になったのは、連隊長殿の責任であります。」
と、セリフながら大佐に対して下士官の大尉が
こんなことは言えないでしょう?
普通の会社でも部長に対して
係長程度がこんなこといったら大変なことでしょう(^_^;)
対して北大路欣也の神田大尉は
大隊長の三国連太郎扮する山田少佐に
指揮を任されていたにも関わらず
口を出されそのため思った通りの指示が出せず
結果として大惨事を招くことになる。
予備登山で天候に恵まれ、
雪の中の遠足程度に考えてしまい
装備も心構えも徳島隊とは違っていた。
上長の山田少佐に振り回された神田大尉は
頼りにしていた道案内の農民を
山田少佐に追い返され、磁石と地図だけを頼りに
猛吹雪のなか死の行軍をさせられることになる。
バカな上司に振り回され
なすすべもない中間管理職に命令され
死んでいった兵卒達はいっそう気の毒である。
しかし、これは軍隊だけの事ではなく
実際の会社組織でもよくあることで
バカ上司の腰巾着のイエスマンリーダーが
現状を把握できず、無理な命令を強制し
結果的に事故に繋がる。
会社側はシラを切り通して
知らぬ存ぜず、被害者本人が勝手にやったとか
平気で嘘をつくなんてよくあることです。
一兵卒と下層労働者はまったくもって哀れである。
あまりの寒さに発狂し
矛盾脱衣をして凍死したり
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B%E7%9B%BE%E8%84%B1%E8%A1%A3
凍傷で指が使えず、
ズボンのファスナーが下ろせず
失禁してしまい、
それが凍結して凍死してしまったものもいたようです。
高倉健が演じていたからか
徳島大尉は非常に礼を尽くす人物に描かれ
案内の農民に対しても敬礼をもってしたが
実際のモデルの福島大尉は案内人をこき使い
凍傷を負わせた上にその補償もしなかったという。
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