2019年1月14日月曜日

2018.11,22 江戸東京博物館 7

江戸時代初期は武士が中心の町でしたが
やがてたくましい町人が作った文化が
江戸の町を華やかにしていったのですね

歌舞伎や人形浄瑠璃では
敵討ちや心中ものがはやったようで
幕府からたびたび摘発されたようです

舞台を再現

着物の模様も様々

今ほどの色使いはないにしろ
いろいろ意匠をこらしていたようです
江戸町民はおしゃれでした

印篭といえば水戸黄門で有名ですが
印鑑入れ薬入れなど
いろいろな用途で使わていたようです

もちろん家紋を入れていたものもあり
画像のように蒔絵にしたものもありました



細かいですね
ここまで行くと芸術ですね

浮世絵といったら葛飾北斎

それと歌川国芳

写楽、歌麿、広重
すごい面々

海外に流失して
ゴッホなどのポスト印象派の
画家などに影響を与えた


この絵などは
カニの姿や中央奥に
ウミウかカワウも描かれていて
当時の生物を知る
手掛かりになるのでは?

これってものすごく
写真でも重要なことですね
勉強になります

晩年の北斎の仕事場

江戸の町人地は
町奉行所だけではどうにもならず
その下の町人同士で運営された
自治組織の役割が大きかったようです


徳川吉宗が将軍の時代
町奉行大岡越前が町火消しを組織

町奉行所は北と南があり
短期間でしたが中町もありました。
南北といっても地域を分けて
管轄していたわけではなく
月番制つまり交代制でした
奉行は有能な与力の言いなり的な部分もあったようで
実質、奉行所は与力同心で回っていたようです

火事と喧嘩は江戸の華
町火消は大人気だったようです

当時は破壊消防で
まだ燃えてない家を引き倒して
延焼を防ぐというもの
現代で考えると住人にしてみれば
とんでもないことですが
住人「ひとおもいにやっちまってくんな」
火消「任せておけ、派手にぶっこわしてやるぜ」
みたいな会話があったようです


江戸市中いろは四十八組と
新興地の本所深川十六組が
ありました

纏は火の粉を払うだけでなく
縄張りを主張するためにも
使われました
ここはめ組が引き受けたぜみたいな

いわゆる粋でいなせな町火消は
大人気だったようです



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